どうも、平凡会社員のメジです!
最近は本や読書のことばかりになっている当ブログです。笑
昨日は「働いても本は読める」と題した内容をお届けしました。結論としましては働いていると本が読めないのではなくて、そもそも本を読まない若しくは読もうとしないという私なりの結論に至りました。
読めないというのは読もうと思っている人が読めないのであって初めから読もうとしてこなかった私には感覚的に読めないという表現が当てはまりませんでした。
ではなぜ私は今まで本を読まなかった(読まない)のか。
ところで本を読む人っていつ頃から読み始めたのでしょう?
幼いころに両親に読み聞かせてもらった、小学生の頃に図書館で面白い本に出会った、中学生の頃の朝読書で読書の面白さに気づいた、社会人で自発的に読書をし始めたなどいろいろなきっかけがあると思います。
私は両親から読み聞かせをされたこともなく、学生のころに読書の魅力に気づくこともなく社会人になって自発的に読書をするようになりようやく本と触れ合う機会が増えたわけですが、何かしらきっかけがあったはずです。
そして本を読むようになるにはそのきっかけを今度は習慣に変えなければなりません。
習慣にするには、読書の目的、読み方、楽しみ方を明確にしたことで今の自分は自ずと本が読みたくなってくるのですが、学生の頃の私はここまで考えることができませんでした。
あとは以前にも述べたことがありますが読書環境など要因も含めてこの点についてもまた別の機会に掘り下げてみたいですね!
また読書を娯楽的観点で考えたときに、現代は娯楽が飽和状態であることが読書の障壁であり本を読まないことに繋がっているのではないでしょうか。
私の場合は読書よりも、ゲーム・映画・音楽が好きだったのでどうしても娯楽の時間が確保できた時には読書よりもそれらを優先していました。今では動画配信やSNSなどもあるため手軽に消費できる娯楽コンテンツが溢れていることが本を読まないことの原因だといえそうですね。
これら可処分時間を奪い合うコンテンツに対して読書の楽しさが上回らないかぎり、本が読まれることはないのではないでしょうか。
世間では〇〇離れと言って注目を集めますが、読書離れなんて言われても元から読んでいなかった自分からしてみれば近づいたつもりも離れたつもりもないわけです。笑
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