働いていても本は読めるということ


どうも、平凡会社員のメジです!


今回は表題にもある通り、「働いていても本は読める」というテーマで話していきたいと思います。


社会人として働いているとどうしても1日の時間には限りがありますよね。


社会人が個人として自由に使える時間(=可処分時間)は1日にどのくらいあるでしょうか?
1~2時間の人もいれば、3〜4時間確保できる人もいるかもしれません。


私の場合は可処分時間で言うと、平日は1日約1時間くらい。


時間があるといえばありますが、たっぷりあるわけではありません。
これはライフスタイルによって様々だと思います。
けど私は通勤時間などをうまく活用して読書の時間を設けています。
そう。時間なんてものは工夫さえすれば作る余地はあるはずなんです。
では何故読めない人が多いのか?というより読まない人が多いだけではないのか?


インターネットと向き合うことができても本が読めないのは、読書して得る知識にはノイズがあり、情報にはノイズがないから。ノイズを受け入れることが読書を行うための一歩であるという風に「なぜ働いていると本が読めなくなるのか 」(著者 三宅香帆)では述べられていました。


ここでいうノイズというのは知識のことであり、読者が偶然出会った情報のことを指しているわけですが、読書はノイズを受け入れることから始まるとも述べられておりこの部分に関しては私も同じような印象でした。

読書をしない人からしたら情報に付随する不要な内容は”ノイズ”ではあるけれど、読書好きにとっては知識に広がりをもたらせてくれる極上の”スパイス”なのではないでしょうか。
本を最近読み始めたビギナー読書人がこんなかっこつけたことを言いうのも恥ずかしいですね。笑

本を読んでいると「あ、こういうこともあるのか!」や「え、こんなこと知らなかった!」など新たな発見や閃きのような場面に何度も遭遇するんです。
これにはスパイスが効いていないとこうはいきません。

全くないわけではないけれど、やはりこういう体験は検索単語を打ち込んで出てくる情報のみを追求するインターネットでは少ないように感じますね。


このように考えた時に、ノイズとして受け入れることよりもスパイスとして味わいながら読書を楽しむ感覚を得られるようになれば自然と本を読みたくなるのではないでしょうか。
ただこの楽しむ感覚は結局のところ本を読んで掴むしかないという難しさもありますが。。。

私がそうだったように本は働いているからといって読めないことはなく、読まなかっただけであり読もうとしなかっただけなんです。


この点についてはまた別の機会に掘り下げてみたいと思います!

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